寿晃整骨院はおかげさまで開業28周年を迎えることができました。

 

7月2日は寿晃整骨院にとって特別な日です。

 

平成4年7月2日、寿晃整骨院は、倉敷市浜ノ茶屋に開院いたしました。祖父は清音温泉の治療家として、母は木下治療院の鍼灸師として活躍しており、その家で幼少期を過ごしました。高校進学時に父から将来、鍼灸整骨院を経営するためには、簿記を勉強して数字を見ることができる経営者とならなければならないと倉敷商業高校へ進学することを勧められ素直な私はそのまま進学しました。その後、大阪の専門学校に通いながら、整骨院の徒弟として働き始め、柔道整復師と鍼灸師の資格を取得した後は、兵庫県明石市の整形外科にて4年間勤務いたしました。

 

開業時には勤務先の院長から開業地の近所にある黒田整形外科、黒田先生を紹介してあげるといわれていました。黒田先生は京都大学時代に2年後輩で院長は指導医として指導したそうです。しかし、開業の2カ月前に突然亡くなり、私自身も非常に残念に思った記憶があります。

 

若干26才での開業は少し早すぎたかもしれません。当時、ある整形外科に患者さんを紹介した際にその医師から、院長先生によろしくお伝えくださいと言われました。私が院長ですと答えたら、かなりびっくりした顔をされていました。

 

まだ、鍼灸院や整骨院が少ない時代、たくさんの患者さんに来院いただき、とても忙しく施術をさせていただきました。家内の智子先生と一緒に、朝早くから夜遅くまで一日があっという間に過ぎていく生活を毎日、毎日続けていました。3人の子供にも恵まれ、長女はウミガメの研究で博士となり、次女は看護師、三人目の長男も今年度で大学を卒業、就職してくれそうです。

 

寿晃整骨院はスポーツ選手への施術で定評があります。地元倉敷の社会人野球の強豪として川崎製鉄(現JFE)と三菱自動車水島製作所の2チーム、高校野球の強豪校である倉敷商業高校と倉敷工業高校のチームのケアもさせていただいていました(現在もスタッフによる両校へのトレーナー派遣は続いています)。患者さんからプロ野球選手になった人数も10人を超えています。その他にもラグビーやサッカーチームの選手のケアもさせていただき、その後のヴィッセル神戸となった川鉄サッカーチームや三菱自工のサッカーチーム、ラグビーチームの帯同も経験させてもらいました。

 

開業して10年を迎えたころ、岡山県にも柔道整復師や鍼灸師の専門学校ができることになりました。私は専門学校で教えるための教員資格を取得し、海外留学までの12年間、朝日医療大学校で柔整理論と関係法規の非常勤講師として勤務させていただきました。人を教育する経験は、私にとってスキルを上げるものであり、良い機会をいただいたと感謝しております。

 

寿晃整骨院で勤務し腕を上げたスタッフは、アメリカでPGAゴルフのある日本人選手のパーソナルトレーナーを務めた者もおり、2020年現在、社会人野球のトレーナーとして4人活躍中です。NTT西日本、東邦ガス、西濃運輸、松下電器の野球チームでは、寿晃整骨院OBがケアスタッフとして活躍してくれています。また、東京オリンピックを目指すトヨタ自動車のビーチバレーチームトレーナーや環太平洋大学の教員となっているスタッフもいます。

 

50歳を迎え、人生について考え直しました。一人前になるのが20才、それから社会のためにがむしゃらに働いて30年たつと50才となります。80年の人生と考えれば、もう一度がむしゃらな30年を送ることができると考えました。そこで大学に行って勉強をし直すことを思いつき、岡山大学への入学をすることにしました。

 

岡山大学には夜間主という法学部と経済学部の夜間大学があり、社会人枠を5人の定員で入学させています。小論文と面接の試験を何とかクリアし、入学させてもらうことができました。入学式には孫が来てくれました。

 

入学してからは、一般学生と同じ昼の講義にも参加できるので単位を多く取ることができたおかげで、昨年8月から7か月間、アメリカの大学へ語学留学にも行くことができました。今年度が4年生でコロナの影響を受けながらオンライン授業をこなし、来年3月には無事卒業することができそうです。

 

ながながと私の寿晃整骨院の歴史を書いてしまいました。29年目に入り、寿晃整骨院には現在40名のスタッフが在籍しています。彼らの今後の活躍を期待しながら、私は大学卒業後の行動準備をしているところです。

 

今後とも寿晃整骨院をよろしくお願いします。

 

寿晃整骨院 総院長 木下広志