20歳の頃、悩みを抱えていました.

私は、清音村という田舎の

その中でも一番人の住んでいない山で

育った世間知らずの若者でした。
住所は、清音村三因 大字 峠 字 奥谷です。

 

 

 
その私が生まれたのは、1966年。
20歳の時は1986年、バブルの絶頂期です。
この時期に専門学校に通いながら、

鍼灸整骨院で研修をしていました。

 

 

 
給料は、3万円。労働時間は、4時間ほど。
鍼灸師の免許を取って治療できるようになって、

労働時間は8時間で給料は4万円
柔道整復師の免許を取って労働時間は、11時間

給料を5万円にしてくれました。

 

 

 
このときに住んでいた文化住宅は、家賃が16,000円。

風呂なし、クーラーなし、くみ取りトイレ。

院長は、白衣を買いに連れて行ってくれました。

自分で買いました。
お昼には弁当を取ってくれました。

自分でお金を払いました。

 

 
3人のスタッフで1万円ずつ出し合って、

晩ご飯を一緒に食べていました。
その後は、銭湯へ…毎日は入れません。

テレビなんて見ている暇はありません。

この頃の芸能人は、ほとんど知りません。

X-JAPANなんて聞いたことがありませんでした。

倉敷商業の野球部応援歌で良い歌だと思い、

スタッフに聞きました。「紅」という曲でした。

 

 

 

鍼灸整骨院では、たくさんのことを教えてもらいました。

現在の寿晃整骨院のベースになっている治療の流れは、

ここで教えてもらいました。
院長は、よく勉強をされる方で、

いろいろな本についても紹介してくれました。
そんな中に、ある方が書いたエッセイがありました。

 

 

 

 

進まねばならぬ

 
そうだ、進まねばならぬ、まっしぐらに
河があろうが、山があろうが、

地震だろうが、火事だろうが
そうだ、おれは進まねばならぬ
泣き泣きでも、歯を食いしばってでも
元気に愉快に感謝にみちて
毎日毎日、時々刻々、おれの魂が

無くなってしまうまでは
どんどん進むより他にてはない
雨が降っても風が吹いても
たとえこの世が壊れてしまっても
おれがある限りはおれは進もう

 

 

 

 

作者は、出口日出麿という方です。
大本教という宗教を信仰していたそうです
私は、この宗教を知っていますが、

信仰している訳ではありません

 

 

 
20歳の時に、親友が亡くなりました。
本当に信じられませんでした。
喘息を持っていたのですが、

あっけない死でした。

 

 

 

 

そんな時にこの出口日出麿さんの書いた本を

むさぼるように読みました
その本は、講談社から出版されていて

当時のベストセラーだったようです。
生きがいの確信・探求・創造の3部作でした。
もちろん今でも大切にしています。

 

 

 

 

長い人生には、いろいろなことがあります。
困難な時にどう生きるか、

どう考えるかで、人間の成長があります
また、その時、その時にした選択について、

責任を果たすことでその人の人格が決まります

 

 

 

今では、自分のことで悩むことは

無くなりましたが、
当院へいらっしゃる患者さんのことや

スタッフ、家族のことで
考えることが多いです。

 

 

 
順風満帆にことが進むときにすることは、

嵐に備えることかもしれません
嵐の時には、それをやり過ごすことに

全力を尽くします。
自然災害は避けられません。
人災は、避けることができるはずです。

 

 

 
生きている以上、どんどん進まねばなりません
立ち止まって考えている時間は無いのです。

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