寿晃整骨院には野球に関係するスタッフが多くいます。例えば、今日現在、パナソニックや日立グループの社会人野球のトレーナーは当院のOBです。また、何度もブログに書きましたがソフトバンクのトレーナーとして当院のOBが活躍しています。倉敷オーシャンズや倉敷にある高校の硬式野球部にも当院スタッフやOBが帯同させていただいています。
私は高校で柔道をやっていました。これは柔道整復師という職業を選ぶなら柔道をやれという父の勧めです。高校を選択する時、父から倉敷商業高校を勧められました。何も言われなければ総社高校へ行っていたかもしれません。当時、総社高校には柔道部はありませんでした。もう一つ理由があります。父は鍼灸師の母と鍼灸院をやっていたのですが、療養費の保険請求や経理部門は父の仕事だったようです。その経理に簿記会計が必要なことを痛感していたようで、倉敷商業高校でそれを学ぶことがいいと考えていたのだと思います。
高校2年生時の簿記担当先生と相性が良く、日商簿記検定2級を2年生の時に取りましたが、3年生の先生とは相性が悪く「もう簿記はやりません」と宣言した私の頭を出席簿で思いっきり「バシッ」と教育していただいたのも、今ではいい思い出です。
母の鍼灸院には、当時の川崎製鉄水島製鉄所、三菱自動車水島製作所硬式野球部の選手、そして倉敷紡績のバレーボール選手が来院していました。母には運動経験はありませんし、スポーツ選手が通うような治療院での修行経験もありません。独自の感覚でスポーツ選手の施術方法を編み出し、母の人柄も含めてそれを求めて施術に来てくれるスポーツ選手は大勢いました。
私が31年前に浜ノ茶屋で寿晃整骨院を開院することになり、川崎製鉄や三菱自動車の野球選手、サッカー選手、ラグビー選手が母からの紹介によって、施術を受けに来てくれるようになりました。それだけではなく、倉敷にある高校のスポーツ選手たちが大勢来院してくれており、今もそれは続いています。私の出身校である倉敷商業高校の硬式野球部には、私の方から挨拶に伺い、当時の監督であったH先生には大変お世話になりました。
H先生は野球部の中から選手のケアに向く生徒に対して、柔道整復師や鍼灸師という国家資格が取れる進路をアドバイスしておられたようで、寿晃整骨院には10名ほどの倉商野球部OBが今までに働いてくれました。現在も3名残っており、倉商やオーシャンズでトレーナーのキャリアを温めながら次のステップを目指しています。
私とスタッフは、社会人野球の都市対抗や日本選手権、倉敷商業をはじめ玉野光南高校や倉敷工業の甲子園出場に帯同させていただき、かけがえのない経験をさせていただきました。
そんな野球との接点を持つ寿晃整骨院ですが、この度とても有名な方とお会いする機会をいただきました。関関同立などといいますが、その一つで関西六大学野球連盟に属しているチームの監督が、この度勇退されることになり、その慰労会に招いていただき、さらにその方とゴルフに同行する機会をいただきました。慰労会にはそうそうたる野球関係者が集い、高校野球の監督、部長、大学野球のOB、高校野球のテレビ解説者、テレビ放送局の関係者などアマチュア野球の分厚さを感じることができました。
ゴルフの当日、宿泊されたホテルが私の家に近いため、お迎えに行かせていただき、ゴルフ場に到着する間、身体の使い方、汗をかく体質、ふくらはぎの太さと野球パフォーマンスの関係など野球にまつわる話を聞かせていただきました。良い選手かどうかはキャッチボールと走り方でわかると言われていました。しかし、いい選手だけれども公立高校で実績が無かったり、学校成績が悪すぎたりしてスカウトできなかった体験などとても興味深いお話を聞かせていただきました。
この大学では野球の練習前に、部訓を全員で読むそうです。それを見せていただきましたが、今年は0.1秒にこだわるというものでした。ダブルプレーを取るための時間、1塁、2塁、3塁までの走塁時間、投手が投げてから捕手が2塁に投げるまでの時間、全てを数量的なコンマ以下の秒数で管理し、それができない場合、できるように方法を自分で考えたり、指導したりするようにしているそうです。
選手のパフォーマンスを具体的、客観的に分析する手法、結果を出すためのプロセスなどをとても分かりやすい説明をしてもらえました。さすが、関西六大学野球を監督の10年間のうち、7回制した実力は伊達でないことがよくわかりました。私も見習って寿晃整骨院の指導にいたしたいと思いますが、どうすればいいのでしょう。
寿晃整骨院 総院長 木下広志