準備不足の富士登山(後半)

商売上手 疲れ切った人を乗せる馬

3日目

真っ暗な登山道を上るのにヘッドライトは必須です。8合目まではTシャツで大丈夫でした。汗をかくと、山頂でご来光を待つ間にその汗が身体を冷やすそうで、山小屋大将の中村修さんが、私に注意してくれました。「ゆっくり~、ゆっくり登るんだよ~。汗かく前に休んでよ~」と、のんびりした、それでも説得力のあるお話でした。

8合目でさすがに寒さを感じるようになり、フリースを着てみました。あったかい、でもまだ寒い。ヤッケを着てみました。しばらく歩いているとやっぱりまだ寒い。中にダウンを着ました。丁度いい感じです。9合目の前に全部着てしまい、これで山頂まで大丈夫かなと不安を感じました。

山の稜線を駆け上ってくる雲

10日前からのトレーニングで体力、筋力には問題ありませんでしたが、高山病対策はできていませんでした。5合目で時間を取り、7合目で宿泊して、低酸素に体を慣らしたつもりでしたが、9合目付近からとてもつらい登山となりました。高山病の症状は、めまい、頭痛、頭に膜を張ったような感覚があります。1分ほど歩いたら、脇に逸れて休むことを繰り返しながら登っていると、山頂の鳥居が見えてきました。よかった。

8合目で感じた不安は的中します。

まず、手袋を最近大工さんがよく使っている手のひらがゴムでできている赤い軍手をして登りました。このゴムの部分は全く断熱性がないようで、中に薄いランニング用のグローブをしましたが、手が冷たい。山頂についた時間は午前4時、日の出前の一番気温が下がる時間です。風も強く吹いていました。風は体の熱を奪っていきます。低体温になったのでしょう。体が勝手にぶるぶると震えます。

山小屋に入り、缶のココアで手を温めながら、しかし身体は震え続けています。外を見るとなんとなく、空が明るくなってきました。他の日との比較はできないのですが、雲海の上に明るさが広がり、それが層のようになって誠に美しい空になってきました。写真を撮ろうとスマホを出しても、手袋でタッチパネルが反応しません。手袋を外すと手が冷たくてたまりません。我慢して数枚撮影、すぐに手袋、気分は悪い。と繰り返しながら、山を下りることを決断しました。

本当は、富士山の火口を回るお鉢巡りをしたかったのですが、体力の限界でした。私が降り始めたのは、午前5時過ぎだと思います。吉田口の登山道は下り専用線があります。そしてその道はブルドーザーで均されていてとても歩きやすい道です。しかし、砂利道で砂と小石がふかふかなので足を取られます。両手にトレッキングポールを持って、少しずつ下山しました。前日の5時ごろから何も食べていないのですが、内臓がゆすられるととても気持ちが悪く、少し歩くと休まなければなりません。8合目付近で太陽に日差しがとても暖かく感じるようになりました。

降りることを決断した後の精一杯の笑顔

斜面に腰を下ろして休むことにしました。そのまま眠ってしまったようです。30分ほど時間が経過したのち、また歩き始めました。体調は少し良くなっており、連続して歩けるようになりました。しかし、そこでムカムカがピークに達し、5回ほどもどしました。結果としてこれが契機となり、体力が半分ほど戻ってきました。

そして、感動の富士山五合目まで戻ることができました。智子先生にその時に送ったLINEメッセージは、「二度と富士山には登らんよ。」でした。しかし、2日ほど経過して、今日、このブログを書きながら、次はカイロを持っていこうと考えている私がいます。

そのことを智子先生に言ったら、「女の人が子供を産むときに二度とこんな苦しみを味わいたくないと思っても、二人目、三人目を作ってしまう感覚かなー。」ということでした。

私に子供を産む勇気はないけどねー。

やっと帰ってきた感動の看板

寿晃整骨院 総院長 木下広志